10代VS国会議員


「政治家って何で難しい言葉を使うの?」というテーマで10代の高校生や大学生と国会議員が議論を繰り広げているテレビ番組を見ていました。

国会議員の主張
「政治に関心を持って欲しい」

10代の主張
「テレビや街頭演説で何を言ってるかわからない」
「関心を持って欲しいなら、わかりやすくして」

というそれぞれの主張があります。

よく、若者の選挙の投票率の低さが話題になり、政治に無関心だと叫ばれることがありますが、その原因は「わからない」ということなのだと思う。

ただ、番組上で国会議員は、「若者に伝えたい気持ちはある」「どうすれば伝わるかよく考えている」と主張しています。

その主張に対し、10代の若者は「結果伝わってないじゃん」「気持ちが先行してるだけでは駄目」と反論しています。

この議論の本質や終着点はわからないし、考える気もないけれど、これが「今の世の中」なんだということを感じる。

今の世の中を引っ張っていたり、先頭に立って何かをやっていくためには、一定の「知識」や「経験」が必要であり、それらの有無を理解出来ない人は、世の中から置いてかれるような仕組になっている。

例えば、会計の世界。
今、金融商品取引法という法律の中で、企業は貸借対照表や損益計算書、キャッシュフロー計算書など、財務諸表という書類の公開をしてください、という制度があります。(財務諸表とは、会社のプロフィールみたいなものです。)

ただ、その財務諸表を読み解くためには、「一定の知識」が必要とされています。

実際、財務諸表が作られる前提には「一定の知識」を持っている人が見てわかるように作られればいい 、というルールが設けられています。

少し違った解釈をすると、「知識ない人は無視していいよ」と言っているようなものです。

知識がない人からすると、憤りを感じるかもしれませんが、これが事実であり、知識がない人の中には、その前提がある事すら知らない人もいるのです。(憤りを感じることさえも出来ない)

ただ、これも仕方のないことで、知識がない人を前提に考えて作成されると、情報量がとんでもないものになり、現実的じゃなくなる。

これは、会計の世界だけでなく、あらゆるところで共通する話で、ここでいう「政治の話」についても同じなんだと思う。

政治の話を理解する前提には、膨大な量の情報を頭の中にインプットしておく必要があるし、ある程度、人生経験も必要になってくるのだと思う。

だから、10代のように圧倒的に知識や経験が不足している時期には、政治の話を理解することは難しい。

そして、社会を引っ張っていく大人は、そういった状況下に置かれた人のことまで気に掛けてはいない。

というよりは、気に掛けるところまで至っていないのだと思う。そこにはいろいろな制約があって、大人からすると、気に掛けていきたいという想いはあっても、現実的に難しい理由が存在するのだと思う。
おそらく、会計でいう、情報量が膨大になっちゃうから、と似たようなもの。

こうしたところから、今回のような議論が生まれているのかなと感じる。

「もっとわかるように説明して!」
10代の意見も最もだと思う。

ただ、「政治に興味持ってよ!」という国会議員の主張もわかる。日本を作っていくのは、政治家大人たちだけじゃなくて、これからの時代を担う10代の君たちもなんだからね。という気持ちを持っていることを感じるから。

政治家は批判的な目で見られることが多くありますが、想っていることや行動していることが、理解してもらえないことが多いからなんだと思います。

そこを理解するためには、「知識」や「経験」が必要だということ。

それを世の中を引っ張っているような大人たちは知っている。

だけど、「知識」や「経験」が不足している人たち(10代の若者)に対して、どう上手く伝えていけばいいかの活路が見出だせてないのだと思う。

だったら、若者はどうする?大人はどうする?

現状をしっかり分析した上で、自身が取るべき行動を考えることが、今回のような議論の解決に繋がるのではないかなと思う。

「今しか出来ないこと」の本質


学生の頃に、「今しか出来ないこと」をたくさんやるといいよ、とアドバイスをもらうことがたくさんありました。

今も「今の(若い)うちに挑戦しておいた方がいいよ」といったお言葉をもらうこともしばしば。

その度に、自身が行っていることが、「今しか出来ないこと」なのかを考えてみるのですが、たいていのことが「いつでも出来ること」であることに気がつきます。

で、思ったのですが、もしかしたら「今しか出来ないこと」というのは、ないのでは?ということ。

例えば、「学生のうちにしか出来ないこと」として思い浮かぶのが、[部活]や[勉強]、[アルバイト]などでしょうか。

ただ、学生を卒業したら急に出来なくなるかというと、そんなことはない。

部活はたいてい、スポーツ系か文化系に分かれると思います。野球部だった人が、卒業後にキャッチボールすらやる時間がないなんて話は聞きません。むしろ、社会人になってから、草野球してますっていう人が普通にいるし、吹奏楽部だった人が、どうしても演奏しちゃいけないんです、なんて話もない。

むしろ、部活やってた頃にあった面倒なルールから解放されて、伸び伸び出来ます!なんて人の方が多いんじゃないかなと思う。

勉強やアルバイトだって、学生のうちは割り当てることが出来る時間が多いだけであって、やろうと思えばいつだって出来る。

つまり、「割り当てることが出来る時間の違い」はあっても、いつでも、何歳になっても出来ることには変わりがないと思う。(身体的な衰えや世間体を気にする人はいると思いますが)

そうすると、これまでの大人たちは何を「今しか出来ないこと」として言っていたのか?

思うに、たぶん「感覚」の話。

少し話が脱線するかもしれませんが、例えば、幼稚園児と社会人の金銭感覚は大分違います。

自分が幼稚園児の頃は、親から100円をもらうだけで、とてつもなく嬉しかった記憶があります。

なぜなら、100円あれば、好きな駄菓子をいくつも買うことが出来たからです。お年玉に1000円もらったものなら、どれくらいの駄菓子が買えるんだろう?とワクワクが止まりませんでした。

ですが、社会人になった今はどうかというと、もちろん貰えれば嬉しいですが、幼稚園児の頃のような感動はありません。

それは、幼稚園児と社会人では稼ぐ力が違うからです。社会人になると、1000円というお金を稼ぐことは正直難しくありません。1日働けばその何倍ものお金を稼ぐことが出来ます。

ただ、幼稚園児はそれが出来ない。お金を手に入れるためには、"貰う"しか方法がないし、その金額も微々たるもの。

だからこそ、「1000円というお金を使って、何かを買う」という経験が、とても貴重なものになるのです。

そこには、今までは100円だったのに、その10倍のお金を自由に使えるという"感動"が生まれるからです。

ここでいう、「1000円の買い物をする」という行為は何歳になったって出来る。

ただ、「1000円の買い物をした時の感動」は幼稚園児の頃にしか味わうことが出来ない。

自分で稼げるようになると、当たり前の感覚になっちゃうから、この"感動"を味わうことが出来ないんです。

これが、大人たちが言ってる「今しか出来ないこと」なんじゃないのかなと。

アルバイトだって、年齢差1つ2つしか違わない人たちとしか関わってない高校生が、初めて10も、20も違う人とコミュニケーションを取って社会に揉まれて、身につける感覚が大切なのであって、職歴30年です!っていう人が、心機一転してアルバイトしたとしても、そこから得られるものってあんまりないのかなって。

だから、「今しか出来ないこと」なんてのはほとんどなくて、「今しか味わうことが出来ない感覚」があるということなのだと思います。

こういうところまで、しっかり伝えてあげないと、何も知らない子供たちは、本当に時間を使いたいところに、使えないんじゃないかなと思う。

ホントに勉強が今しか出来ないことなの?部活が今しか出来ないことなの?アルバイトが今しか出来ないことなの?

いろいろ考えた上で、部活は今しか出来ないことだと結論づけられれば、それはそれでいいと思います。

ただ、そうじゃなくて「今しか出来ないこと」を追い求めているのであれば、留意する必要はある気がします。

「今しか出来ないこと」=「今しか味わうことが出来ない感覚」